思い出したこと


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実家の庭のバラ
畑コーナーにはおいしいものが沢山植わってます




週末、父の法事で実家へ。

この季節って本当に美しい。

母が丹精した庭のバラは、盛りを少し過ぎていたけど、
それでもまだまだ十分にきれいで
伸びていく緑はどんどん濃さを増している。

こんないい季節に亡くなるなんて
父は最後までなんて家族思いなんだろう、と
毎年この季節になると思う。

家族が集まっても、これじゃ湿っぽくもならない。

父の死に向き合う姿勢と
実際に死んでいった姿は
その生き様と共に
私にとって、とても大きな財産だ。





***

最後まで手を尽くす、という自身の選択は揺るぎなくて
父は病院のベッドの上で亡くなった。

切れ切れの意識と呼吸なのに
それでもびっくりする程しっかりとした口調で、
苦しいから薬の濃度を上げてくれ、と父がいうと

うーん、お医者さん、なんていってたっけな??
少し躊躇したあと
これ以上の投与は呼吸が止まりますが、どうしますか?
と、いうようなことを、端的に言った。

そこにいた看護婦さんも、家族もひゅっと息を飲んだ。

延命処置はしない、と言っていた父は
「わかりました」
と言って、また苦しさの中に静かに戻っていった。

ああ、選択したんだ、と私は思った。
こんなところまできても。

肺が片方だけ機能しなくなる様子は目で見てとれた。
左右違う高さで胸が上下するから。

両手両足を家族それぞれに支えられて
両方の肺は同じ高さで、胸に収まって止まった。

***


そういえば、父が余命宣告を受けた後
何十年ぶりかにホロスコープを読み始め
亡くなった後、本格的に勉強を始めた。

死の影を探すためではなくて
よりよく生きるための一つの指針として。

その当時は全然そこまでたどり着かなかったけど。

もちろん今だってたどり着いているわけではない。
ほんの、少しだけ、歩みを進める努力のさなかだ。

「ICへの土星やトラサタの合」が
家庭状況の大きな変化、ということは言えるけれど

どう「大きい」のかをピンポイントで「当てる」ことはできない。
「当たる」ことはあるだろうけれど、それこそ偶然でしかないだろう。

そして占星術はそれでいいと私は思っている。

「当たらなかった」「何もなかった」と言われてもそれでいい。

予言は未来を縛るから
そんなもので自分や他人の人生を息苦しくするのはお門違いだ。







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